個室500戦の続き。
個室500戦を終えたのに、実は嫌儲卓では200戦弱(有志調べ)しかしていなかったという話。今更ながら気づいたのだけれど個室成績って別IDで打っても加算されていくのねという話。
ともかくこれで「嫌儲での対戦数となんでこんなにズレてるんだろう?」という謎がようやく解決。おそらくむかしむか~しから積み重ねてきた200~300戦が入っている。
下家ポン禁止な垢で嫌儲個室デビューしたり段位戦デビューしたりは今年の夏頃だけれど、天鳳デビュー自体は遙か昔に済ませていたのだからそのくらいの下地があってもおかしくはない。
それというのも実は交流場所がハンゲだった頃からのニュー速麻雀スレ住人。
もうID名すら忘れてしまったけれどハンゲで1000戦弱は打っていた気がする。
といっても当時はピンフ条件すら覚えていない、正確には覚える気すらない超絶素人。
リアルで自風雀頭の偽ピンフ倒して恥かいたからそれだけは覚えてる。
まぁそんなことはどうでもよくって、当時のニュー速個室はハンゲだったという話。
天鳳が主流になった今でこそ、チャットが欲しいだなんだ寂しいだなんだ言う意見を目にすることも珍しくなくなったけれど、当時の個室はハンゲだったのでチャットは標準装備で全員強制参加(非表示にできない)。
これがCoolで殺伐を愛するニュー即民…に憧れる当時新参移民の俺にはシンドイ環境だった。一部常連によって繰り返される"おいす・おひさ・おめ・あり"の応酬。
ダマ満ブン捕られた奴が真っ先に「(*・・)ノ☆・゚:*才×〒"├」ってお前どんな神経してんだと。
そんな俺の鬱屈した思いが爆発の限界を迎えんとしていたまさにそのとき誕生したのがかの半熟荘。たしか最初はβ版か何かという状態で公開されていた。言わずもがな天鳳の前身である。
美麗牌画なのにインスコいらずの軽負荷、しかもアバター・チャットなし。
まさに彗星のごとく現れた救世主。
打牌音と機械的な\ピロン/音しか存在しない、刺すか刺されるかの殺伐空間。
これを待っていた。
スレに「半熟でやろうぜ」という流れが生まれると瞬く間に主流は半熟に傾いた。
なんだかんだで大半はハンゲ文化が嫌いだった…だったと思う。
自分は常連ってほどスレに顔出してなかったけれど、半熟とハンゲで人が割れてたのなんて最初だけだった気がする。
気が付いたらハンゲ組は募集しても1卓立つかどうかの不人気状態で結局は駆逐(一人しばらく奮闘してたけど)され現在に至る。
俺もスレで半熟マンセーして「半熟かっこいいハンゲかっこわるい」の風潮をつくろうとしていた一人(笑)
角田さんは少し僕に感謝してもいいと思うな(`・v・´)ドヤッ?
そんなわけで何気に天鳳古参なのだけど、やっぱりIDは思い出せない。
書き残したものが手元に無いので恐らくはブラウザの記憶頼み…まぁその程度の取り組みよう。名称が半熟から天鳳に変わってしばらくした頃にはネトマからも離れていった。特上とか知らなかったし
(ちなみに名称変更の際は、半熟荘という名前を気に入っていたので「天鳳ってなんだよ厨二クセー絶対流行らん」と批判してた…スイマセンシターm(_ _;)m オミソレシヤシター)
以降、ニュー速個室と段位戦からは遠ざかり、久しぶりにネトマ復帰したのが多分旧嫌儲個室(大会ロビーじゃない頃)。
ここでは毎回適当なゲストIDで打っていた気がする。
板の過疎化と共にここにも通わなくなるわけだけど…
さすがにハンゲ時代の同卓者たちの名前は思い出せないけれど、
この頃の人たちの名前は片手で数えられる程度は覚えている。
「松岡美羽」とか「嫌儲総屑」とか…いたよね?ヒント貰えばもう少し思い出せそう…
でも当時の嫌儲個室最初期メンバーで今も同じ名前使ってる人っていないんじゃなかろうか。
もしいたらゴメンなチャイチャイチャイニーズ。よほど出現率が高い人しか覚えていないだろうし…
まぁそんなこんなで天鳳との付き合いは結構長い。
よってこの500戦という数字は、下ポン垢で嫌儲200戦+過去様々なIDで旧ニュー速+旧嫌儲300戦の数字だったのだ、
ということにようやく気が付いて気持ちが良かったという話。
以上、スーパーチラ裏自分語りでした。
今の垢を使い出したとき何故最初から対戦数が数百溜まっていることに気づかなかったのかという新たな謎が生まれた…
個室500戦を終えたのに、実は嫌儲卓では200戦弱(有志調べ)しかしていなかったという話。今更ながら気づいたのだけれど個室成績って別IDで打っても加算されていくのねという話。
ともかくこれで「嫌儲での対戦数となんでこんなにズレてるんだろう?」という謎がようやく解決。おそらくむかしむか~しから積み重ねてきた200~300戦が入っている。
下家ポン禁止な垢で嫌儲個室デビューしたり段位戦デビューしたりは今年の夏頃だけれど、天鳳デビュー自体は遙か昔に済ませていたのだからそのくらいの下地があってもおかしくはない。
それというのも実は交流場所がハンゲだった頃からのニュー速麻雀スレ住人。
もうID名すら忘れてしまったけれどハンゲで1000戦弱は打っていた気がする。
といっても当時はピンフ条件すら覚えていない、正確には覚える気すらない超絶素人。
リアルで自風雀頭の偽ピンフ倒して恥かいたからそれだけは覚えてる。
まぁそんなことはどうでもよくって、当時のニュー速個室はハンゲだったという話。
天鳳が主流になった今でこそ、チャットが欲しいだなんだ寂しいだなんだ言う意見を目にすることも珍しくなくなったけれど、当時の個室はハンゲだったのでチャットは標準装備で全員強制参加(非表示にできない)。
これがCoolで殺伐を愛するニュー即民…に憧れる当時新参移民の俺にはシンドイ環境だった。一部常連によって繰り返される"おいす・おひさ・おめ・あり"の応酬。
ダマ満ブン捕られた奴が真っ先に「(*・・)ノ☆・゚:*才×〒"├」ってお前どんな神経してんだと。
そんな俺の鬱屈した思いが爆発の限界を迎えんとしていたまさにそのとき誕生したのがかの半熟荘。たしか最初はβ版か何かという状態で公開されていた。言わずもがな天鳳の前身である。
美麗牌画なのにインスコいらずの軽負荷、しかもアバター・チャットなし。
まさに彗星のごとく現れた救世主。
打牌音と機械的な\ピロン/音しか存在しない、刺すか刺されるかの殺伐空間。
これを待っていた。
スレに「半熟でやろうぜ」という流れが生まれると瞬く間に主流は半熟に傾いた。
なんだかんだで大半はハンゲ文化が嫌いだった…だったと思う。
自分は常連ってほどスレに顔出してなかったけれど、半熟とハンゲで人が割れてたのなんて最初だけだった気がする。
気が付いたらハンゲ組は募集しても1卓立つかどうかの不人気状態で結局は駆逐(一人しばらく奮闘してたけど)され現在に至る。
俺もスレで半熟マンセーして「半熟かっこいいハンゲかっこわるい」の風潮をつくろうとしていた一人(笑)
角田さんは少し僕に感謝してもいいと思うな(`・v・´)ドヤッ?
そんなわけで何気に天鳳古参なのだけど、やっぱりIDは思い出せない。
書き残したものが手元に無いので恐らくはブラウザの記憶頼み…まぁその程度の取り組みよう。名称が半熟から天鳳に変わってしばらくした頃にはネトマからも離れていった。特上とか知らなかったし
(ちなみに名称変更の際は、半熟荘という名前を気に入っていたので「天鳳ってなんだよ厨二クセー絶対流行らん」と批判してた…スイマセンシターm(_ _;)m オミソレシヤシター)
以降、ニュー速個室と段位戦からは遠ざかり、久しぶりにネトマ復帰したのが多分旧嫌儲個室(大会ロビーじゃない頃)。
ここでは毎回適当なゲストIDで打っていた気がする。
板の過疎化と共にここにも通わなくなるわけだけど…
さすがにハンゲ時代の同卓者たちの名前は思い出せないけれど、
この頃の人たちの名前は片手で数えられる程度は覚えている。
「松岡美羽」とか「嫌儲総屑」とか…いたよね?ヒント貰えばもう少し思い出せそう…
でも当時の嫌儲個室最初期メンバーで今も同じ名前使ってる人っていないんじゃなかろうか。
もしいたらゴメンなチャイチャイチャイニーズ。よほど出現率が高い人しか覚えていないだろうし…
まぁそんなこんなで天鳳との付き合いは結構長い。
よってこの500戦という数字は、下ポン垢で嫌儲200戦+過去様々なIDで旧ニュー速+旧嫌儲300戦の数字だったのだ、
ということにようやく気が付いて気持ちが良かったという話。
以上、スーパーチラ裏自分語りでした。
今の垢を使い出したとき何故最初から対戦数が数百溜まっていることに気づかなかったのかという新たな謎が生まれた…

- 関連記事